『物作りへの回帰は間違ってはいないが…』
著者は第一章の導入部分で、第二次世界大戦の敗戦で、日本人が国のために行った行為が全て悪かったとの考え方が行き渡り、「国や社会全体を考えることの重要性が無視され、自分本位が当然と思われており、将来のことよりも、目先を重視する考え方が一般的となってしまった。それが今日の基本的な問題につながっている」と述べている。日本人が個性を表現し始めているのは同感だが、それでも欧米人ほど「自分本位」ではなく、むしろ集団志向と言えるのではないであろうか。このように、やや強引な論旨も見受けられ、さらに、あまりデータは示されず、理屈だけの展開が目立つ。
そういうタイトルの本だから仕方ないのだが、大半を悲観論に終始し、「再発展への道」と題した最終章でようやく提言を試みているものの、それが結局「物作りへの回帰」では、バブル前までの経済構造に帰巣するだけで、復活の可能性を持った日本の将来像とするには、感銘し難い。そして「借金経済からの脱却」が必要であり、「基本は国民の考え方」で「国の将来のために不退転の決意を」と、日本人の意識改革を訴えているにもかかわらず、明るい希望を具体的に述べることににほとんどベージを費やしていないので、納得性が低い。
あえてポジティブサイドを見つけるとしたら、戦後の経済発展を背景とした日本人の発想を、経済論に絡めており、経済の構造と日本人の意識を関連づけて、庶民的な視点を維持しながら平易に説明しようとしている点であろうか。企業という組織構造が経済にどういう影響を及ぼすか、を力説しているので、組織構造の観点で捉えて読めば、考察に値する。
経済本は選択が難しい。本書の例にたがわず、過去の分析は成功より失敗に目を向け、将来予想は悲観的に書いたほうが、危機感をあおるのでよく売れるから、どうしても売れるように書かれる。一方、論旨の正当性には検証に時間がかかるし、そもそも何をどう主張しても、自分で実行しないから責任は問われない。したがって言いっぱなしの本が目立つ、という感覚は払拭できない。そこに真理なり普遍性、建設的提言を読み取れそうな本でなければ、自分たちで荒波を乗り切っていかなければならない、若い人たちにとっては、あまり多読しても得られるものは、少ないのではないであろうか。
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